多可町のおいしい野菜が食べられる「カフェチャッタナ」。
農場なつめやしさんのお野菜をふんだんに使っています。
野菜づくりにかける農場なつめやしさんの思いをうかがいました。
2022.5.9 支配人&スタッフR
加美区から八千代に向かう山野部の里に広がる約40アールの野菜畑、この広い畑を農場主・祐尾智紗美さんは日々主に一人で歩き回り、管理をしています。
農薬・化成肥料は一切使わずに堆肥から手作り。「虫対策はネットで。それでもつく虫は指でつぶしていきます(笑)。堆肥は残渣(野菜くず)から作ります。農業をしているとどうしても出る残渣を堆肥に変えられたら捨てるものがなくなり循環させていけるかなと考えて。ただ、残渣の置き場所がどうしても限られているので、堆肥づくりはまだまだ実験段階だとも言えます」
個性的な「なつめやしの〇〇」たち
「農場なつめやし」をスタートさせたのは4年前。まだ歴史浅い農家でありながらすでに多可町内でその名は知られつつあります。“おいしさと珍しさ”が「なつめやし」の真骨頂。本物の野菜が持つ味のよさ、そして珍しい品種の提供で「スーパーでは買えない野菜」をつくる農家として人気を得始めているようです。
「『なつめやしのネギ』『なつめやしのナス』が食べたいと言ってもらえるようになりたい」と祐尾さん。目指すは「なつめやしの○○」と冠が付く野菜。しかしそれも実際、たとえば「なつめやしのネギ」=「ヒッピー太ねぎ」(祐尾さん命名)には固定ファンがすでに多くついています。なめらかにやわらかく青々とした幅広のネギにはとろとろのゼリーがたっぷり詰まり、焼いて甘い、特徴的な「なつめやしのネギ」になっています。
「原種は朝来の岩津ネギです。本来の岩津ネギはものすごく柔らかくてとてもおいしかったのですが、年月とともにだんだん良さが失われてしまいました。元に戻す改良が朝来を中心に今なされていますが、私も自分なりに種とりをしながら、おいしいネギを育てたいと取り組んでいます」
それが「ヒッピー太ねぎ」。「朝来で生まれて姫路、市川町と渡ってきたネギです。ヒッピーみたいにふらふらと居場所を求めて多可町にたどり着き、ここで居座ってくれたらいいなと思って名付けました。家で人々がごはんを食べるとき、このネギはどこから来てどこで育ってとか、種を残す大切さとかを家族で話すとしたら、それはとても豊かな光景だと思うんです」
圃場を歩きながら「実えんどう」をちぎって食べさせてもらいました。生のえんどう豆、甘くみずみずしい…。「グリンピースが嫌いだと言う人がこの豆を食べて『とうもろこしみたい! おいしい!』って驚いたことがありました。今まで嫌いと言っていたのは、きっと本当のおいしさを知らなかったからなんでしょうね」
最高の人生へ!
祐尾さんが農業と向き合ったのは23歳のとき、オーストラリアで。何年も世界を放浪する旅の途中、お金がなくなると「季節労働」をして稼いでいたそうですが、あるとき大きな「トマト農家」と出会います。いろんな国から来た人たちが住み込みで結構過酷な農作業を日々楽しみ、たまに釣りに出たりBBQをしたりしながらゆったりと過ごす生活。知らない人同士が「仲間」になっていく感覚も体験していきます。
「食べ物が周りにあって、それによって人が安定する─、これがとても豊かに見えました。お金や権力では得られない豊かさです。笑って、おいしいものを食べて得る豊かさ。その中心にある“おいしいもの”を、自分でつくる能力をもし得られたら、それって最高の人生やん!って気づいたんです」
日本の農家の娘でありながら農業を自分の生業にしようと決めたのは、そんな海外の農的な暮らしとの出会いから。以降も農作業の仕事を求めながら暮らすように旅をし、大好物だという「なつめやし」を袋いっぱい買っては食べしながら転々と計100カ国(!)も渡り歩き、帰国。思い描いた“最高の人生”をスタートさせるために、3年間市川町の農家さんで学んだ後、自分の農場を持つに至りました。
「3年の修業中、珍しい野菜をたくさん教えてもらいました。むっちゃおいしいのに、この辺では知られていない野菜がたくさんある。これは多くの人に知ってもらわねばと、自分でもつくるようになりました。『おいしい!』その反応がただ見たいんですよね」
タケノコ芋、ヒッピー太ネギ、のらぼう菜、ふわとろナス(青ナス)…、知名度の低い野菜には簡単な調理法も添えて販売する優しさも祐尾さん流。「食べたことのない野菜を食べる楽しさと本物の野菜のおいしさを広めたい。野菜づくりには失敗もつきものです。それはしゃーない。失敗した方法はあっさりと切り捨てて、じゃぁ次はこうしてみよう!と、“次”を楽しんでいます」
朝から晩まで農場を歩き回る祐尾さん。ここが“最高の人生”のホームグラウンドです。